2012年3月9日金曜日

ビーチボーイズのことを知らない人のために

ビーチボーイズのことを知らない人のために


 ビーチボーイズのことを余り知らない人のために、ビーチボーイズのことを知ろうと思わない人のために、ちょっとビーチボーイズを紹介する記事を持ってきました。改めてビーチボーイズの歴史を振り返ると大変懐かしい。「ヘルプ・ミー・ロンダ」のレコードを買いました、そして今も持っています。1966年1月のビーチ・ボーイズ初来日コンサートに学生服を着ていきました。グッド・ヴァイブレーション」は、すばらしかった。よく、ラジオで聴きました。

懐かしいな~、ビーチボーイズ。いまも現役です。
1961年 ブライアン・ウィルソン、デニス・ウィルソン、カール・ウィルソンの3兄弟と従兄のマイク・ラヴ、ブライアンの学友のアル・ジャーディンで 「ペンデルトーンズ」を結成する。12月にマイナー・レーベルよリ シングル「サーフィン」をリリース。グループ名は「ビーチ・ボーイズ」に変更された。
1962年4月 アル・ジャーディンが歯学の勉強のためグループを離れ、デヴィッド・マークスが参加。 5月 キャピトル・レコードと契約。6月4日にキャピトル・レコードよりシングル「サーフィン・サファリ」/「409」でメジャー・デビュー
1963年3月 キャピトル3枚目のシングル「サーフィン・USA」が全米3位の大ヒット、以降快進撃が始まる。
9月 デヴィッドがグループを辞め、アルが復帰する。
1964年2月 自信作の「ファン・ファン・ファン」をリリース。しかし全米でビートルズ旋風が巻き起こり、5位で止まる。
6月 「アイ・ゲット・アラウンド」で初の全米1位を獲得。
1965年1月 ブライアンが作曲とプロデュースに専念するため、ツアーに参加しないことをメンバーに告げる。そして3月に名作アルバム 『トゥデイ』をリリースする。
5月 「ヘルプ・ミー・ロンダ」が2枚目の全米1位を獲得。またブルース・ジョンストンがビーチ・ボーイズのメンバーに加わる。
1966年1月 ビーチ・ボーイズ初来日コンサート
5月 アルバム『ペット・サウンズ』をリリース。その30年後にイギリスのMojo誌で音楽評論家が選んだ最も偉大なロック・アルバムで1位に輝くなど永遠の名作になった。
10月 「グッド・ヴァイブレーション」が全米・全英で1位になり、頂点を迎える。この曲は同じくMojo誌でミュージシャンが選出した 最も偉大なロック・シングルの1位に選ばれた。
12月 イギリスのNME誌の人気投票でビーチ・ボーイズがビートルズを抜いて1位を獲得する。
1967年5月 曲作りのプレッシャーとドラッグに苛まれたブライアンは、10か月かけて準備したアルバム『スマイル』を放棄、制作中止発表。
1974年7月 60年代のヒット曲を集めた『終わりなき夏(エンドレス・サマー)』が全米1位を獲得。
1979年8月 ビーチ・ボーイズ2回目の来日コンサート。ブライアンは初来日。
1983年12月 デニスが溺死する。
1988年 ブライアンが初のソロ・アルバムを発表。ブライアン抜きのビーチ・ボーイズは映画『カクテル』用に作った「ココモ」が22年ぶりの全米1位を獲得、以降グループは分裂状態になる。しかしビーチ・ボーイズはロックの殿堂入りを果たす。
1998年2月 カールが死去。
2004年 ブライアンがお蔵入りだった『スマイル』をソロでレコーディング、全米13位のヒットになる。
2006年 60年代の曲を中心にしたベスト盤『サウンズ・オブ・サマー』がダブル・プラチナム・アルバムになる。エヴァーグリーンであることを改めて示した。
2011年 ビーチ・ボーイズでの録音を再編集した『スマイル』をリリース。
ローリング・ストーン誌では2011年の再発ものの最優秀作品に選ばれた。
2012年 グラミー賞で現存するオリジナル・メンバー ブライアン、マイク、アル、ブルース、デヴィッドの5人が集まってビーチ・ボーイズとして「グッド・ヴァイブレーション」を披露、近日中にリユニオンのツアーとニュー・アルバム・リリースを公表する。

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