2013年5月28日火曜日

長崎丸山花街跡散策

長崎丸山花街跡散策
 
 
幕末維新のころに、「藩」の金で遊び歩いた人たちが居た長崎丸山公園付近を散策してきました。映画やテレビの番組で見る毎晩、飲み歩き、暴れまわった人たちが遊びまわったところはこんなところだったのか。遊び好きの人たちにはいいところだったのかと思いながら、足が痛くなるのを我慢して、歩きました。
 
史跡に指定されている「花月」を見てみたかった。この料理屋さんは、卓袱料理を出してくれるのですが、庶民には高値の花です。しかし、タクシーで乗り付ける老夫婦グループを見つけました。きっと裕福な老後生活を送っている人たちだろうなと思いました。

料亭 花月は寛永19年(1642年)に創業した遊女屋引田屋(ひけたや)の庭園内に造られた茶屋の名前です。明治初年大火で一部を焼失したが、名園花月の名を惜しんで旧引田屋遺構内に再建されました。
文人墨客も数多く訪れ、頼山陽は花月を「養花山館」と名付け、篆刻(てんこく)も残し、ここが気に入り三ヶ月にわたって逗留したらしい。幕末、坂本竜馬もよくここへ来たようで、「竜の間」の床柱には、坂本龍馬がつけた刀傷の跡が生々しく残っているという。
なかにし礼著「長崎ぶらぶら節」の舞台となったところで、丸山芸者愛八と古賀十二郎の歌探しがここから始まります。
長崎ぶらうら節の一節に「遊びに行くなら花月か中の茶屋 梅園裏門たたいて丸山ぶーらぶら ぶらりぶらりというたもんだいちゅ」 と歌われている。
江戸から幕末、明治と長崎を舞台に活躍した国際人の社交場であった。昭和35年には長崎県の史跡に指定された。

長崎丸山公園の坂本龍馬像は、新しく建立されました。チョッと顔がイメージと違うな。龍馬もこのあたりで毎晩酒を飲みまわったのか?

長崎カステラの老舗
 
長崎丸山の入口になる思案橋
 
 
庶民には、居酒屋など飲み屋さんが建ち並ぶ通りがありました。思案橋横丁?だったと思います。この日、私たちは、居酒屋さんにはあまり興味がありませんでした。


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