2013年1月6日日曜日

JR和歌山線と粉河寺


JR和歌山線と粉河寺
 
JR和歌山線に乗って、久しぶりに西国三十三所観音巡礼の第三番札所の粉河寺にぶらっと行ってきました。今日は天気もよく冬場としては、絶好の行楽日和でした。まだ娘が1歳半のころに初めて行きましたが、粉河駅前からの参道が大変綺麗になっていました。昔懐かしい雰囲気を残す和歌山線は、ワンマン車両です。懐かしい紀ノ川沿いを往復しました。もっと時間ができたら、のんびりと時間を気にせずぶらっと散策したいと思います。私は、やっぱり街中よりもこんな雰囲気のところが大好きですが、生活するには大変だろうとも思います。
 
お寺のお参りよりも、ぶらっと出かけて立ち寄るお店で一本だけ飲む日本酒が最大の楽しみでしたが、今日はビール大ビンを一本飲みました。歩いて喉が渇いたからです。帰りのディーゼル電車は、一時間に一本で、出発した後だったので約50分間粉河駅のプラットフォームで待ちました。向かいの山、龍門山から、パラグライダーが飛んでいます。それを見て自分にはできないし、若くてもやりたいとは思わないけど、色々な趣味のひとがいるなと思いました。
 
来週の休みはぶらっとお弁当を持って出かけよう。

西国三十三所観音巡礼の第三番札所として栄えた粉河寺は、紀の川中流に位置し、8世紀の創建といわれています。現在の境内を構成する建築群の大半は、正徳3年(1713年)の火災以後、漸次整備されたものです。境内の南西に総門である大門が南面して建ち、大門をくぐると境内が右に折れ、本坊、羅漢堂、童男堂、念仏堂に至ります。さらに進むと西面して中門が建ち、その奥に本堂、千手堂が南面して建っています。
本堂は、地元粉河の工匠により享保5年(1720年)に上棟され、一重屋根の礼堂とその後方に建つ二重屋根の正堂が結合した大型の複合仏堂で、礼堂の正面にも軒唐破風を付けるなど、複雑な平面構成と変化にとむ外観を持っています。
千手堂は、本堂の復興が完了した後、本堂と同じく粉河の工匠の手により上棟しました。
中門は棟札により明和期の着工から約60年後の天保3年(1832年)に竣工したことがわかります。一階正背面両脇に四天王像を安置しています。
大門は、一階正面の両側には金剛力士像を安置しており、鬼瓦の銘から宝永4年(1707年)に建てられたことがわかります。境内の大型建築の中では唯一正徳3年の火災以前の建築物です
 
 

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