2013年7月31日水曜日

「終戦のエンペラー」を見てきました

「終戦のエンペラーを」見てきました
 
 
物語の主人公はこの人です。ボナー・フェラーズ、実在の人物ですが、この人の存在を全く知りませんでした。
私たちの世代では、日本史を勉強しても太平洋戦争の時までは、歴史の時間でも勉強することは全くと言ってよいほどありませんでした。せいぜい、日清・日露戦争の頃までではないでしょうか?そしてマッカーサーのことは知っていても、この人ボナー・フェラーズのことを知る人は少ないと思います。
私のこの映画の評価はまずまずです。面白く鑑賞できました。やっぱり、ある程度史実に基づく映画には、どんな映画であっても重みを感じて、面白く見ることができます。これからも史実に基づく映画が数多く作られることを期待したいと思います。ボナー・フェラーズという実在の人物のことを知る機会を得ました。
 

1896年アメリカ・イリノイ州生まれ。インディアナ州、アーラム大学で学ぶ。陸軍士官学校、司令参謀学校を経て、1936年、妻と娘とともにフィリピン・マニラヘ赴任、マッカーサーと出会う。その後、エジプト勤務を経て、陸軍省陸軍諜報局、戦略諜報局へ入局。太平洋戦争において、心理作戦のプロとして働き始める。1944年マッカーサーの軍事秘書官となり、1945年8月日本進駐。翌年7月に帰国。11月に軍を退役した後は、全米各地を回って講演を行い、雑誌に記事を投稿。1947年に発行された「リーダーズ・ダイジェスト」誌には「降伏のために戦った天皇裕仁」と題して、昭和天皇を讃えた。1971年、日本政府はフェラーズに対し、日米親善に尽くした功績を讃え、勲二等瑞宝章を授与。その申請書にはこう書かれていた。「ボナー・フェラーズ准将は、連合国軍総司令部に於ける唯一の親日将校として天皇陛下を戦犯より救出したる大恩人である」。



物語 
1945年8月、日本が連合国に降伏し、第二次世界大戦は終結した。まもなく、マッカーサー元帥率いるGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が上陸。日本は米軍の占領統治を経たのち、再び息を吹き返した。誰もが知っている、歴史の1ページである。  だが、そこには、1ページではとても語り尽くせない、驚きの真実が秘められていた。すべては、マッカーサーが部下のボナー・フェラーズ准将に命じた、ある極秘調査から始まった。この戦争の真の意味での責任者を探せ──。それは日本文化を愛するフェラーズにさえ、危険で困難な任務だった。やがて、連合国、マッカーサー、フェラーズ、そして日本の元要人たちの思惑が激しく交錯するなか、謎がひとつひとつ解き明かされていく──。
 なぜ、開戦直前に首相が交代したのか? パールハーバー直前の御前会議で語られたこととは? 戦争を始めたのは本当は誰なのか、終わらせたのは誰か? 玉音放送前夜のクーデターとは? その放送に込められた天皇の想いは? 連合国側の本音と、マッカーサーの真の狙いは? マッカーサーと天皇が並ぶ写真が写された理由とは? そして、崩壊した日本の新たなる礎は、いかにして築かれたのか──? 日本の運命を決定づけた知られざる物語が今、始まる。

0 件のコメント:

コメントを投稿

The Beach Boys Do It Again - 50th Anniversary Edition