2013年3月3日日曜日

近つ飛鳥風土記の丘

近つ飛鳥風土記の丘
 
 
今日は、大阪府南河内郡河南町にある「近つ飛鳥風土記の丘」に行ってきました。
 
近つ飛鳥とは、奈良の飛鳥(遠つ飛鳥)に対してつけれた古称。古くから文化が栄え、その証しとなるのが河南町北部の丘陵地帯に広がる一須賀古墳群。風土記の丘は古墳群の一画を大阪府が整備したもので、一帯には河内を治めた渡来人の豪族の墓とされている古墳時代後期(6~7世紀)の古墳が250近く点在。29haの園内には102基の古墳があり、うち40基が整備公開されている。古墳を巡る遊歩道や展望台も整備されている。平成6年3月25日に「府立近つ飛鳥博物館」が開館された。
梅の名所で「大阪府立近つ飛鳥博物館」背後の丘陵に約140本が咲く。
見ごろ予想=2月下旬~3月上旬


 
南河内には、古墳が一杯点在しています。古墳の好きな人には、なかなかいいところだと思います。 風土記の丘を歩きましたが、結構疲れました。梅林は今年の冬の寒さのため、まだ見頃を迎えてはいませんでしたが、これからが楽しみです。そして桜のシーズンもいいと思います。子供の頃の里山を思い出します。

平成の古墳(安藤忠雄氏の代表作のひとつ)

 「近つ飛鳥」という地名は、712年口述筆記された「古事記」に記載があります。
履中天皇の同母弟(後の反正天皇)が、難波から大和の石上神宮に参向する途中で二泊し、その地を名付けるに、近い方を「近つ飛鳥」、遠い方を「遠つ飛鳥」と名付けたというものです。「近つ飛鳥」は今の大阪府羽曳野市飛鳥を中心とした地域をさし、「遠つ飛鳥」は奈良県高市郡明日香村飛鳥を中心とした地域をさします。この「近つ飛鳥」の地は、難波の津と大和飛鳥を結ぶ古代の官道-竹内街道の沿線にあたり、周辺には大陸系の遺物を出土する6世紀中葉以降の群集墳が広がっています。
また、南部の磯長谷には、敏達・用明・聖徳太子・推古・孝徳の各陵墓指定地など飛鳥時代の大古墳が集まっていて、俗に王陵の谷とも呼ばれています。

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