2013年4月18日木曜日

今城塚古墳と継体天皇陵


今城塚古墳と継体天皇陵
 
今から約50年程前の中学生のころ、学校の休みの日に友達と自宅から自転車に乗って、古墳巡りをしました。茨木市、高槻市の古墳を見て回りました。紫金山古墳は警察病院の中にありました。途中、京都大学が発掘調査をしている古墳もありました。羨道の小さな石をもらって机の上に飾っていたこともありました。こんなに自宅の近くに立派な前方後円墳の継体天皇陵があることに感動しました。そして、下の写真のような今城塚古墳が記憶に残っていました。古墳は、出入りが自由で大変荒れていました。そんな今城塚古墳の姿を今も覚えています。そして、約50年ぶりに行ってきましたが、古墳の回りは開発されて、田圃に囲まれた当時の面影は全くありませんでした。当時は、今城塚古墳が本当の継体天皇陵だろうといわれていました。




史跡今城塚古墳は、三島平野のほぼ中央に位置し、淀川流域では最大級の前方後円墳です。西向きの墳丘の周囲には二重の濠がめぐり、総長約350メートル・総幅約340メートルをはかり、日本最大の家形埴輪や精緻な武人埴輪が発見されています。 今城塚古墳は、531年に没した第26代継体天皇の真の陵墓と考えられ、古墳時代の大王陵としては唯一、淀川流域に築かれた古墳です。今後の整備・公開に向けて平成9年から確認調査を行っており、古墳の規模をはじめ、のちの城砦や地震による変形の様子など、貴重な成果が得られています。なかでも平成13・14年度の調査 で北側内堤からみつかった埴輪祭祀区(はにわさいしく)は、大王陵での埴輪祭祀の実態を示すものとして大きな注目を集めています。


なお今城塚という名称は、戦国時代に城砦として利用されたことに由来し、江戸時代の絵図などにも今城陵(いまきのみささぎ)などと記されています
 

http://www.city.takatsuki.osaka.jp/rekishi_kanko/rekishi/rekishikan/daio/kodairekishikan/imashirozukakofun/1327496276409.html 

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