靖国神社、「やすくにの心」とは?
東京に単身赴任していたとき、休日に一人で東京見学として靖国神社を見学したことがありました。社殿で手を合わせるのは、何処の神社へお参りしても同じです。仏さん、神さんといって特に特別の違いがあるわけでもなく、ローマ人と同じように多神教のせいかもしれません。また、色々な戦死者のことを紹介する記念館とか博物館で、戦死した若い人たちのことを知ると戦争は2度とあってはいけないと思います。靖国神社には戦争を引き起こした張本人が祭られているので戦争の犠牲になった人と同じ気持ちでお祈りすることはできないという意見の人が多いのも事実だとおもいます。パリの凱旋門の下には、無名戦士の墓、ワシントンDCのアーリントン墓地にも無名戦士の墓がありました。宗教に関係なく、外国の人も誰でもお参りできるところがあっても良いのではと思います。
靖國神社崇敬奉賛会のホームページには、次の文書がありました。
日本の再生は靖国神社から先の大戦が終結してから長い歳月が流れました。戦後生まれの人口がすでに四分の三を超えた今、戦前の記憶が薄れてしまうのも無理からぬことでしょう。
日本はかつて、他国と戦火を交えた時期がありました。しかし、当時の日本人が「何のために」、「どのような思い」で戦ったのか - そのことに思いを巡らさない限り、世界有数の経済大国へと発展した戦後・日本の歩みを振り返ることも、また、平穏に暮らせる今日の有難さにも気づくことはできないでしょう。
靖國神社は、日本という国を残してくれた先人の魂に触れることのできる唯一の場所です。靖國神社に来たら、誰もが、この国に生まれてきたことに、日本を守ってくれた多くの人たちに、いつも支えてくれている家族や仲間に、心から「ありがとう」と言えるはずです。
そして、私たちはこれからも、そんな日本人であり続けたいと思います。
「靖國神社は、日本という国を残してくれた先人の魂に触れることのできる唯一の場所です」と言うのが問題だとおもうね。いろいろな宗教の人がいるのだから誰でもいけるところを造って欲しいものです。
靖国神社は、明治2年(1869)6月29日、明治天皇の思し召しによって建てられた東京招魂社が始まりで、明治12年(1879)に「靖国神社」と改称されて今日に至っています。
靖国神社は、明治7年(1874)1月27日、明治天皇が初めて招魂社に参拝された折にお詠みになられた「我國の為をつくせる人々の名もむさし野にとむる玉かき」の御製からも知ることができるように、国家のために尊い命を捧げられた人々の御霊を慰め、その事績を永く後世に伝えることを目的に創建された神社です。「靖国」という社号も明治天皇の命名によるもので、「祖国を平安にする」「平和な国家を建設する」という願いが込められています。
靖国神社には現在、幕末の嘉永6年(1853)以降、明治維新、戊辰の役(戦争)、西南の役(戦争)、日清戦争、日露戦争、満洲事変、支那事変、大東亜戦争などの国難に際して、ひたすら「国安かれ」の一念のもと、国を守るために尊い生命を捧げられた246万6千余柱の方々の神霊が、身分や勲功、男女の別なく、すべて祖国に殉じられた尊い神霊(靖国の大神)として斉しくお祀りされています。
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