亀山社中記念館と龍馬通り
亀山社中が長崎にあったとされる、その亀山社中記念館に行ってきましたが、これと言ってみるべきものはなく、記念館としての展示物も思っていた程のことはなく、期待はずれのものでした。
司馬遼太郎によって龍馬も有名になりましたか゛、長崎の観光の目玉の一つとして、坂本龍馬は長崎で行き続けていました。昔は、亀山社中記念館や龍馬通りという観光の目玉もなく、新しく作られた観光ポイントと言う感じでした。龍馬通りは、坂の多い長崎の町の地形を反映して、坂道を登っていく必要があります。ここも修学旅行生で一杯ですが歩くことで長崎の町をよく知ることができます。
坂本龍馬と亀山社中に想いを寄せて、雰囲気を味わう方にはお勧めですが、私には、こんな不便なところに亀山社中があったとは思えませんでした。。毎晩酒を飲んで、酩酊し、こんな山の上まで帰って来れません。。。。。。
亀山社中記念館のある場所は、幕末に亀山焼の再興を図った一族が大正9年まで所有していたと登記簿に記されています。また、幕末の長崎地図に描かれた亀山一帯の建物は当建物らしいものを含めわずかであり、亀山社中が寄寓した建物であった可能性は高いと推測されます。
母屋は10畳・8畳・3畳の部屋と土間に分かれていました。龍馬がもたれかかって座ったと伝えられる10畳座敷の柱など黒褐色の建具は幕末の家屋の雰囲気を忠実に再現しています。その先の縁側からは長崎の街と港が一望できました。一方、土間の北側には玄関があり、かつてはそこから出入りをしていたようです。この土間はガラス張りの床ごしに確認することができます。また土間と3畳の部屋の上側には中二階がありました。有事の際には大人数人が潜むのに十分な広さです。現在は失われていますが、母屋の北側には土蔵と馬小屋もあったとされています。
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